白籏史朗著のガイドブック『南アルプス北部 白峰・甲斐駒・仙丈』昭和40年




白籏史朗 (1933-2019)

2019年他界された 山岳写真家 白籏史朗氏。

手元にある 多々の写真集、若い頃の白籏氏の著作本を いま 改めて 見直してみて 白籏氏 の山への熱い 思い・情熱が伝わってきた。

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白籏史朗著 アルパインガイド19『南アルプス北部 白峰・甲斐駒・仙丈』昭和40年4月1日改訂2版 山と溪谷社 1965
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アルパインガイドシリーズは 全国 各地の山々を紹介する 当時 主流の登山ガイドブック。

この本が出版された 1965年当時 北アルプスは すでに開発されていて 営業山小屋も多くあって 大勢の登山者で 賑わっていた。

「戦後のおどろくべき観光ブームによって開発された北アルプスは、奥地までのバス乗り入れでアプローチが短縮され、さらに食事までととのえる山小屋の完備で、余計な荷物もいらず、軽い服装で山頂に立てるようになった。」

一方 その当時の 南アルプスは 北アルプスに比べ 人為的なところが いまだ 少ない 未開な状態であった。

■白籏史朗氏は 本の巻頭の 「登山計画の前に」

「南アルプスについて」のなかで 南アと北アとを比較。

南アルプスの特徴とは

「太古さながらの 静寂、壮大な景観、深くきざまれた山肌の底には未知の渓谷が、淙々として流れをはやめている。千古斧鉞をしらぬ原生林と撩爛たるお花畑。この自然美こそ南アルプスの誇る特徴である。」

と 南アの自然美を 褒め たたえている。

■一方 北アなどに見かける 「遊戯的登山者とその雷同派」には 手厳しい批判。

当時 すでに 開発済で 大勢の登山者で 賑わっていた 北アルプス。

「北アルプスの山稜や山腹をいろどる雪田、雪渓が盛夏にもなお残存するのに比べて南アルプスのそれは、八月に入るとほとんど残らない。-----(略)-----そのうえ、近代アルピニズムにマッチしたロッククライミングのゲレンデが、北アルプスには、槍、穂高連峰、剣、鹿島槍など数多くあるのをみれば、鋸、甲斐駒、白峰のかぎられた山域にしかない南アルプスが、一部の遊戯的登山者とその雷同派からみすてられ、かえりみられなかった理由がわかる。

遊戯的登山者、近ごろはレジャー、バカンスで代表されるこれらの人々も、しょせんはマスコミや観光業者におどらされているにすぎない。一つの山頂から、次の山頂にまでつながる登山者の群れを見に行くだけの人が、はたしてどれだけ深く山を あじわえるのだろうか。バスに乗り、歩いているうちにいつの間にか山頂についたという登山では、どだい無理な はなしである。」

と 辛辣な批判。

■深く 山を あじわえる 南アルプスの登山とは

「奥深く、大きな山、何日分かの食糧と装備の入った重いザックが肩にくいこむ急な前山越え、炎天下の河原歩き、北アルプスでは二三〇〇~二四〇〇メートルの森林限界が、ここでは二七〇〇~二八〇〇メートルにおよんで、木の根、岩角をつたう道は単調である。山稜にとりついてからも、はてしない登りがつづく。だがその一つ一つの峰頭に立ったときのよろこびは、そこにいたるまでの労苦が大きければ 大きいほど、強く はげしい。」

本峰、主峰を のぼるためには 手前の 前衛峰や前山越えからの時代、まず 転付、夜叉神などの峠越えを しなくてはならず 苦労も大きかった。

それでも 本来 登山は 労苦が 大きければ 大きいだけ より喜び あじわえるもの。

古い ガイドブックには あの当時 正々堂々 まっすぐ真摯に 山に 向かいあい 取り組む 白籏氏の姿勢が しっかり あらわれている。

■白籏氏が ガイドブックでいう 南アルプスでの登山とは 本来の 登山の そのものであり より多くの 労苦のすえ やっと あじわえるものであると。

そもそも山登りを 本質的に あじわうには、いかに 苦労して 登る かであって、いかに 楽して 労苦を少なくして 登るようなものではないのだ。

はじめは 一般ルートから登って より難しい ルート やがて バリエーションルートへ むかっていったり、季節も 無雪期から積雪期 厳冬期と条件が さらに厳しい時期に 挑むようになるのも より多くの労苦を求めつづける 登山の本質に 由来したものだろう。

■この本が出版された当時 30歳少しで 年齢的に 一番 バリバリと登山 山岳写真に 取り組んで 血気さかんに 活動していた 白籏氏。

後年 山岳月刊誌の「白籏史朗の人生相談」で 読者のさまざまな悩みに、サラリと円熟味の境地で語るのと くらべたら 辛辣な言葉の節々に 若いパワーの 違いを感じる。

若い頃の 白籏氏の 山にかける情熱や 意気ごみが いかに熱いものだったのか この古いガイドブックの文章の行間からは ダイレクトに強く伝わってくるのだ。

■ざんねん ながら 白籏氏の書かれた ガイドブックの時代の南アルプス と いまの 南アルプスでは 大きく変貌してしまっている。

南アルプスはじめ、さらに全国 各所の山々の多くも もう すでに 「遊戯的登山者とその雷同派」に占拠されているの かもしれない。

■近頃 巷に氾濫する内容の薄い紙ベースの提灯記事、登山WEBサイト・SNSなどに よく見かける軽薄なインターネット情報などは そもそも「遊戯的登山者とその雷同派」むけの情報なのだろう。

それにひきかえ 若い頃の 白籏氏の「山に対する愛と情熱」による出版物は いまでも しっかり 光り輝いていると 痛感する次第だ。

■山を登るだけでも 労苦なのに そのうえに 本業である 大重量のシノゴ 大判写真で撮る プロの山岳写真。

大変な労苦の積み重ね 必死になって取りくんで撮った珠玉の山岳写真。その原動力になったのは 山に対する愛と情熱。

当時は 食えないといわれていたプロの山岳写真家としての道を 自らの 努力で 切り開いていった 白籏氏。白籏氏が 真摯に取り組む 山にかける深い 愛情 思い、山への 熱い情熱。

白籏氏が残された 山岳写真・書籍などから いま 実に貴重な 多くのことを学びとることができ、深く感謝いたしますとともに、心から 御冥福を お祈り申しあげます。合掌。

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アルパインガイド19『南アルプス北部 白峰・甲斐駒・仙丈』
巻末 著者の横顔から

「----とかく”山の写真じゃ食えない”というのが定説であった。そのプロの山岳写真家として至難の道を自ら切り開いて来たパイオニアとしてのファイトと信念には脱帽する。その意味で彼の人生は貴重だと思う。」 山と溪谷社 出版部 村上尚武

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「私たちは山の写真を撮ることを一生の仕事と考えている。

それぞれが情熱をかたむけて自分のライフワークにとりくんでいる。これから山岳写真を志す人たちにしても、おそらくは同じ考えをもっていることと思う。

山岳写真は私たちの山に対する愛と情熱をしめすバロメーターなのである。

どんな場合でも私たちは山を忘れない。そしてそれを、写真を通じて多くの人に理解してもらおうとつとめている。

つまり、山や、山岳写真に対して確固とした考えをもたない人たちが、登山の片手間に写してきたたんなる山の写真と同列に考えてもらっては困るのである。」

『山岳写真入門』白籏史朗著 山と溪谷社 1972年初版

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2020年5月14日 記