一日でも早い コロナ禍の終息を願う



■五十年以上 まえから 累計千数百日にわたって 徳島県西部の山々に のぼり続けてきました。いまは 交通便利になって 日帰りが主ですが むかしは山中泊が主体でした。

 山域に長期間 通い続けて 素晴らしい山々をめぐる山行を春夏秋冬にわたって 十二分に 堪能することができまました。これも 山間地 山里のみなさまの おかげで あったと 深く感謝しております。ありがとうございました。

ながい間には山間地 山里の様子 その変化など ほんの少し垣間 見る事も できるようにも なりました。

 山里の道中 見かける山村の駐車車両。ここには いつも あの車。あそこには この車。

車を買い替えたかな? いつもの車も 最近、見かけなくなった とか。

連休には かならず 山里の親族のもとに 県外から帰郷している県外ナンバーの車も いつのまにやら 見かけなくなり、盆正月に帰省する県外ナンバー車も めっきり数が減ってしまいました。

秋季の 地区運動会での 地区あげての盛りあがっていた あの当時の賑わいが いまでは本当に とても懐かしいものです。

地区ごとの小学校は ひとつの小中校に統合されてしまいましたが、 統合直後の頃にくらべて いまでは スクールバスに乗車する児童生徒も随分 少なくなっています。

昔に比べ 集落の 空き家・廃屋が やたらふえ、過疎地の基幹産業としての土木会社が多数廃業して、閑散とした資材・機材置き場跡を 数多くみかけます。

新しい墓石が 増えていく 一方で 草むらの茂みの中に埋もれている まだ真新しい墓も 数多くあります。

山間地区の深刻な 過疎・高齢化の進展など 長い間に さまざまな変化を みてとることができました。

■同時に 私のような 「いち登山者」が 山村をみてきたことと 同様に 地元の方のほうからも 私のような 「いち登山者」の車を しっかりと 見てこられてきていたんだなあ ということも徐々に 分かってきました。

登山中 山中で 全く人に で会わないような 人気のない 林道に 車を駐車させていても 林道工事 林業 関係者は もとより、地元の方が様々な 用事で チョクチョク 通っていたりしています。林道脇の取水設備などは 積雪期でも 頻繁に点検されていて、道路脇に 停車している 登山者の車をチラッとみて いたりしているのです。

山里では 見覚えある 知っている車に すれ違うことも 多いのです。

地元駐在所が 登山車用駐車場を点検巡視に来るのは よく見かけることですし、異常天候の後などは 旧役場の支所のかた、土建関係者などが 道路状況の確認を 頻繁に おこなっています。

あるとき 台風直後の山行で 未明 林道が荒れて先に進めず 林道途中に停めて 歩いて山に登ったところ、日中に林道パトロールが行われていて 山岳遭難の可能性のある不審放置車両としてリストアップされてしまい 無事下山後 帰途、駐在所の警察官から 職質をうけたこともありました。

■山里で すれ違った 地元の方と たまに 立ち話してみれば  以前から こちらの 動きを 実によくみられているなと つくづく感じるものです。

こちらは 気がつかなくても 山里では 県外・地域外からの車は目立つものです。

この山域に とくに足繁く 通っていますと 自分は山中では誰にも出会っていないから 人に会わなくて いいなと 思っていても、 すれ違う 車もふくめて 山里では ほかから 入ってくる侵入車・侵入者は 地元のかたに 案外よく見られているのでした。

登山者にとって 誰にも会わない(「ゼロ密」) 山登りだと 思っていても それは 登山者の 独りよがり。

ちょうど 孫悟空が お釈迦様の掌のなかに いるようなものなのです。

■実際 この山域で 山歩きができるというのも 実は 山域の山里の皆様のおかげで 登らしてもらっているだけの ことでしかないことが よくわかりました。

もし 地元の方が いなければ 道路も 林道も 登山道も 全くないところから 山に 登らなくては ならないので 手に負えないぐらい 大変困難な登山ということになるのです。

 地元のかたがたに 大変 お世話になっているからこそ 山域の山々に 登らせてもらっているということを 登山者自身が 認識して まずは 深く感謝の気持ちを 持ちたいものです。

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■「県外からの訪問を「お断り」」

さて いま 全世界的に コロナ嵐が吹き荒れ 日本列島全体で 感染症が 急進展して 新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言対象区域が 日本全国に拡大。

徳島県では いまのところは 感染者数こそ すくないものの、全国知事会長でもある 徳島県知事は、県境を こえての往来、「県外からの訪問 お断り」を 強く おし進めています。

感染症が県外から持ち込まれるのを阻止する こうした徳島県の施策は地方自治体の県知事として県民の健康生命をまもるためのものであり、理解しなければなりません。

「県外からの訪問お断り」の 厳しい県外車排除によって 徳島県出身者の県外からの帰省でさえも いま 強く自粛するよう要請されています。

徳島県内で営業しているパチンコ店への 来店者には 徳島県内在住の「身分証明書提示」を求め 県内住所の確認を徹底することで 徳島県外からの 県内流入を おし止めようとしています。

また「県外からの訪問お断り」によって 徳島県外ナンバー車両をめぐる さまざまなトラブルも 数多く発生していまして 県外ナンバーに乗る徳島県県内在住者の車には「徳島県内在住者ステッカー」が貼られたりしている状況です。

■山村地域の住民の感染症への不安

コロナ嵐による影響は 全国各地の多方面・多分野に及び いま 多くの人々が コロナ禍に 堪えて 苦しんでいます。

コロナ不安がひろがるなか コロナ感染症への医療関係従事者の奮闘、救急体制を維持するため 関係者の必死な取り組みが 日夜 続けられています。

■山里で 山々に響き渡る 救急車のサイレン音を 以前にくらべ いまでは しばしば聞くようになりました。高齢化が進展しているためでしょうか?

山村地域の医療救急体制は きわめて貧弱なもので、高齢化した山村地域の住民の 感染症への不安は とりわけ大きいのです。

もしも 自粛要請を無視した 県外からの無症状感染者が原因で 万がいつにも 静かな山村で 感染症が拡散してしまったとしたら、貧弱な医療救急体制・高齢化の進む山村では きわめて由々しい事態におちいって、長期的に 回復不能のダメージになるかもしれません。

いま徳島県が推進する 県境をこえての 県外・地域外 からの「訪問お断り」は なにより 山村住民の生命・健康を 守って不安をとりのぞく施策でもあります。

■いま 不要不急の 県外車・地域外からの侵入車・侵入者は 山村地域の住民の不安増大の要因になっているのを まずは 自覚すべきです。

「ゼロ密」だと おもっていても 行き帰り 地元の道を走行しているかぎり 山村地域への 県外車の侵入・地域外からの侵入者として 山村地域の住民の不安増大の要因になりえます。

いま 登山者に求められているのは 不安を増大させることではありません。

いま 登山者のなすべきことは 山域の山里の皆様の おかげ で山を登らして もらっているという感謝の気持でもって 山村の皆様の 命と健康を守り、すこしでも不安を取り除くよう 外から 山村を 静かに そっと 見まもってあげること ではないでしょうか。

そのうち いずれまた コロナ嵐が過ぎ去ったあとには スッキリ晴れ わたった青空のもと 正々堂々と 気分良好で 楽しい山登りができるようになるでしょう。

その日が来るまで 私としては この山域での 山行を 控えて しばし 待つことにします。

一日でも早い コロナ禍の終息を願うばかりです。

          2020年5月3日 趣深山


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☆☆ 登山の早期再開に向けて ☆☆
 長野県山岳遭難対策特別アドバイザー 大城和恵(国際山岳医)
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人類が未知のウィルスに対して、被害を最小限にして、免疫を獲得する局面です。社会として、生き延びる時です。この危機を生き残るためには、一人一人が主役です。

自然や山を愛する私たちは、大雨が降れば小降りになるのを待ち、雷が鳴れば低いところに移動し、吹雪けば停滞し、天候の回復を待って登山をしてきました。美しくも厳しい環境の中において、私たちは、常にそこに適応し、その自然環境で生き延びることを繰り返してきました。今は、ウィルスの拡大を抑制し、私たちが抵抗力を獲得する日をじっと待っている時です。
自然の豊かさと怖さを知っている登山者だからこそ、自然の中で生き延びる術と英知を持っていると信じています。

この危機を乗り越える私たちの武器は「忍耐」です!
動かない、という「忍耐」です!         大城和恵(国際山岳医)
https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangaku/index.html
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